南仙台の父 人生を前向きに生きるための意識と行動

占い・鑑定師が語る人生を前向きに生きる知恵

不気味な家

こんにちは南仙台の父(hrperficio)です。
今年は昨日・今日までがお盆休みというところも多いようです。
中には20日まで休みというところもあるそうです。
毎日暑い日が続いてますが、この時期は怪談とか不思議な話とかが必ず出てきます。
今回はあまりにも気持ちの悪い話(実話)なので、気の弱い方やこういう話
が苦手な方は速攻で読むのをやめましょう。
夏の話でもありませんので、通年で気持ちの悪い話でした。
読むなら昼間の明るいうちに読むのをお勧めしておきます。
今から40年以上も前の話になります。
まだその頃は名古屋市内に住んでいて、自宅から歩いて10分ほどの大学に通
っておりました。
当時住んでいた場所は写真のような裏ぶれた感じの寂れた商店街とかがあり
、大学に近かったせいもあって私の通っていた大学だけでなく、その他の学
校に通う学生さんたちも多く住んでいました。
地下鉄の駅から歩いて5分程度の場所にあったその家は借家でした。
まだ親父が生きていた頃で、会社の借り上げ社宅として住んでいました。
ちょっとした庭があったことも親父がその場所を気に入った点でもありまし
たが、その家がとんでもない不気味な家だったことは言うまでもありませ
ん。
私が中学の途中からそこに引っ越してきましたが、その家は本当に不気味さ
がプンプンしていて、一種の妖気のような気持ちの悪いものを感じる家でし
た。
その家は一軒家でしたが、隣りの家も含めてあまり交流もなく、隣の家は数
年に渡って空き家となっているような場所でした。
通りから少し入った閑静な場所ではありましたが、その分余計に気持ち悪さ
を感じさせる場所でした。
とにかく、昼間から妖気が漂っているような場所で、とにかく気持ちに悪い
場所だったので、多少霊感のある人だと気持ち悪がって上がりたがらないよ
うな家でした。
私は住み始めた当初から本当にイヤなものを感じ、単に霊や怨念、念のよう
なものが籠ったというよりも、死のリスクすらも感じるくらいのマイナスな
エネルギーに溢れ切った場所でした。
トイレの壁にドクロのようなものが彫り込まれたような形で存在していまし
たが、そういうものがあっても不思議なくらいにイヤな場所でした。
いわゆる心霊現象というようなものはほぼ毎日のようにあり、昼間でも暗い
場所・部屋もあって、寝ていても天井から監視されているような気配がゾク
ゾクする毎日でした。
私はその家の南西の方角に当たる八畳間の部屋に一人で寝ていました。
当時は高校・大学の受験勉強中だったこともあって、就寝するのが夜中になるので、邪魔にならない場所に一人置かれておりました。
霊はいくつもあるわけではなく、強烈な霊が一つだけ存在しているようで、
それが今まで感じたことのないくらいの恐ろしい念を持っていました。
私自身は恐ろしい目にあったという訳ではありませんが、夜中にトイレに起
きると真夏でも冷や汗を感じるような恐ろしい視線が後ろに感じました。
たぶん、怨みという念がもの凄いエネルギーとなった場合はああなるのかと
思うような凄まじさがありました。
この家に住んでいる時に母親を亡くしましたが、その時も不思議なことが山
ほどあって、一つの本に書けるくらいの内容でしたが、母親が亡くなった後
で父親もそのストレスによって胃を悪くして入院してしまいました。
二ヶ月ほどの入院加療が必要ということで、当時高校生だった弟がいたので
母方の叔母夫婦がしばらく家に同居することになりました。
弟が心配で親父が頼んだのがその理由でした。
叔母夫婦は幼い頃から私のことを知っており、叔父さんの実家にまで一緒に
行くような関係性だったので、特に心配もなく普通に一緒に生活をしていま
した。
ある日、大学から直接バイト先に行って夜遅くに帰って来た時のことでしたが、いつも先に寝ている叔母が起きていました。
話しておきたいことがあると言って、叔母は昼間に近所の人から聞いたとい
う話を私にしてくれたのでした。
叔母によると叔母が家の片付けをしていると、母親が生前に親しくしていた
近所の女性がやって来て、色々と話をしていったそうでした。
最初は世間話でしたが、その後母親の話になって、ちょっと気になる話まで
していったということでした。
その話というのが、私の住んでいた家のそれ以前住んでいた一家があり、そ
の家の奥さんという人がこの家で自殺をしたそうでした。
その自殺した場所が昼間でも気持ち悪いくらい暗い四畳半の部屋だったそう
でした。
その一家は夫婦間の仲が良くなくて、旦那さんが外で別に女性を作って遊ん
でいたそうで、それを悲観して自殺をしたそうでした。
叔母からその話を聞いた時に、確かに気持ちの悪い念を持つ霊は女性だった
し、自殺したという場所も確かに気持ち悪い部屋だったし、引っ越してから
毎日のように霊の監視のようなようなものを感じるという話を叔母にもしま
した。
叔母も私の従弟もこの家に入るのがイヤだっていつも言ってたとその時に話
してましたので、確かにこれくらいの強力な念のパワーがあればそうだろう
なと思いました。
その後も大学を卒業して東京の会社に就職することになって東京に出ました
が、いつ帰っても同じように気持ちの悪い負のエネルギーを感じました。
母親の葬儀もそうでしたが、不思議なことが色々とあって、多少念も収まる
のかもとは思いましたが、そういうものでもなかったですし、母親を取られ
たのではと叔母も心配していましたが、霊の力で人一人を殺すだけの力なん
て基本的にはありませんので、色々な偶然が重なって念の力もあって亡くな
ったように感じます。
叔母の話では母親は自分の死期が迫っていることを知っていたようで、葬儀
の時に色々と困らないようにということで、葬儀に必要となりそうなものは
すべて揃えてあったそうでした。
葬儀は自宅で行ったので、そういうことも考えての行動だったのかもしれま
せん。
確かに私もそうしたことは薄々と感じてはいたので、叔母からそんな話を聞
いてもまったく驚きませんでした。
家相だったり、風水といった観点でもいい環境とは言えない場所でした。
確かに交通の利便とかも考えれば良い場所には間違いありません。
名古屋の都心まで地下鉄で10分ほどで行けるような場所でした。
ただ、ここに住むことになるのはもう一つの要素があり、それは私の運勢に
関係する動きでもありました。
元々、一日も早く家を出たい私にとっては、父親の見栄も考慮して名古屋か
ら飛行機にでも乗らないと行けないような大学を志望校にしていました。
札幌や福岡、今住んでいる仙台もそうですが、そういった場所に行くことを
目標として勉強をしていましたが、実際にはそういったところに行くことは
叶わず、自宅から歩いて10分という大学に通うことになりました。
その大学は一応親父の見栄だけは叶えたものの、それよりも深い因縁があっ
た大学でもありました。
母親が亡くなった時に最初に発見したのは私でしたが、もし私が自宅から通
っていなかったとすればどうなっていたか、当時は親父も大阪に単身赴任し
ていました。
母親の最期に合わせて大学を運命的に決められたような感じすらありまし
た。
この大学は母方の親戚も戦争前に通っていたり、その当時は二次試験の科目
が数学と理科一科目で物理・化学から選択できるといった巡り合わせもあり
ました。
まったく眼中になかった学校だったので、高校の同級生から通称・赤本を急
遽譲ってもらうという状況だったのに、受かってしまうという流れになって
いました。
それもこれもこういう流れが先にあって、そういうものを粛々と受けるため
にそうあったのだということなのでしょう。
もちろん、その中には母親が亡くなることも入っているわけで、どういった
ことが人の人生を決めていくか、変えていくかは不思議なところでもありま
す。
その後、母親が亡くなった家は30年程度はそのまま残っていました。
最初は隣にあった家が更地にして買い取って、その先にある空き家になって
いた家も含めて、孫の家が建てられるようにと購入しようとしていたそうで
したが、それを進めていた矢先にその家の爺さんが亡くなってしまい、実現
できなかったために残っていたそうです。
その後はアパートとしてその爺さんの家も含めて更地化されて、その当時の
面影はなくなったそうですが・・・。
たぶん今でも念はあるのかもしれません。
とにかく家の外からでも気持ちの悪い感じが漂っていました。
母親が亡くなったのも、隣の家の爺さんが亡くなったのも念のせいではあり
ません。
もちろん運勢的に支配された部分だったり、本人の運気の状況にもよって影
響するので、念の力も含めて作用したことは否めませんが、決して霊の持つ
念の力で持っていかれたわけではありません。
よく事故物件という言葉の入った不動産物件がありますが、念の力で何か影
響されるわけではないので、何があっても大丈夫だということでもありませ
ん。
こういう物件は少なくとも人の心身にも良くない環境です。
健康を悪くしたり、精神的にストレスが溜まりやすくなったり、運気も大き
く下がるので、多少家賃が安いとか駅から近いとかで選ぶことは避けた方が
いいです。
不動産屋さんの内見とかで昼間でも気持ちの悪いものも感じたら絶対に止め
た方がいいです。
そういう感覚って意外と当たったりするので、ちょっとでもそんな気がした
ら自分を信じて止めた方が絶対にいいと思います。